道生(読み)ドウショウ

デジタル大辞泉 「道生」の意味・読み・例文・類語

どうしょう〔ダウシヤウ〕【道生】

[?~434]中国、東晋代の僧。廬山ろざん慧遠えおん、さらに鳩摩羅什くまらじゅう師事頓悟成仏とんごじょうぶつ説を唱えた。

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精選版 日本国語大辞典 「道生」の意味・読み・例文・類語

どう‐しょうダウシャウ【道生】

  1. 中国、東晉代の僧。廬山(ろざん)慧遠(えおん)、さらに鳩摩羅什(くまらじゅう)に師事。頓悟成仏(とんごじょうぶつ)説を唱えた。四三四年没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「道生」の意味・わかりやすい解説

道生
どうしょう
(355―434)

中国、東晋(とうしん)から南朝宋(そう)代の僧。竺道生(じくどうしょう)ともいう。俗姓は魏(ぎ)氏。鉅鹿(きょろく)(河北省鉅鹿県)の人。訳経僧鳩摩羅什(くまらじゅう)門下の四哲の一人。竺法汰(じくほうた)(320―387)について出家し、初め建康(南京(ナンキン))の竜光寺に住したが、隆安(りゅうあん)年中(397~401)に廬山(ろざん)に入り、7年間幽棲(ゆうせい)して経論を研究し、慧遠(えおん)による白蓮(びゃくれん)社の十八賢人の一人となった。のち慧叡(ええい)(355―439)、慧厳(えごん)(363―443)、慧観(えかん)(生没年不詳)とともに長安に赴き、鳩摩羅什に師事した。409年に建康に帰り、青園(せいえん)寺に住した。大乗仏教の深義に通達し、善(業)は報(果)を受けずという説と頓悟成仏義(とんごじょうぶつぎ)(悟りには段階はなく、ただちに真理を悟り成仏するという説)を唱え、六巻『泥洹経(ないおんきょう)』を究めて、経には説かれていない闡提成仏(せんだいじょうぶつ)説(善根を断じた人も成仏するという説)を主張した。道生の新説は大きな反響を引き起こし、異端邪説として排斥する人々もあった。430年ふたたび廬山に入り、『法華経疏(ほけきょうしょ)』(現存)を撰(せん)した。ほかに『二諦(にたい)論』『仏性当有論(ぶっしょうとううろん)』『法身無色論(ほっしんむしきろん)』『仏無浄土論(ぶつむじょうどろん)』『応有縁論(おううえんろん)』などを著した。

[伊藤隆寿 2017年3月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道生」の意味・わかりやすい解説

道生
どうしょう
Dao-sheng

[生]?
[没]元嘉11(434)
中国,東晋時代の僧。竺法汰に従って出家し,15歳のときに経典を講義した。隆安1 (397) ~元興1 (402) 年廬山の慧遠 (えおん) に師事し,のちに慧叡,慧厳とともに長安に出て鳩摩羅什に師事したが,義煕5 (409) 年に南方に帰って青園寺に住した。主著『仏性当有論』『法身無色論』『仏無浄土論』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道生」の解説

道生(1) どうしょう

?-? 鎌倉時代連歌師
寛元-宝治(ほうじ)(1243-49)のころ,花下(はなのもと)連歌で活躍し,地下(じげ)連歌の先達といわれる。「菟玖波(つくば)集」に16句はいっているほか,和歌が「続(しょく)拾遺和歌集」に1首ある。

道生(2) どうしょう

鉄庵道生(てつあん-どうしょう)

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世界大百科事典(旧版)内の道生の言及

【竺道生】より

…道生でも知られる。中国思想史の根本的な転換期である東晋末期から劉宋期において中心的役割を果たした仏教哲学者。…

※「道生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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