日本歴史地名大系 「上帯那村」の解説 上帯那村かみおびなむら 山梨県:甲府市旧山梨郡地区上帯那村[現在地名]甲府市上帯那町下帯那村の東、西流する荒(あら)川の支流帯那川上流に位置する。枝郷に中原(なかはら)・水上(みずかみ)・穴口(あなぐち)・赤柴(あかしば)がある(文化三年「書上帳」西山梨郡志)。慶長六年(一六〇一)の検地帳(県立図書館蔵)に上帯那村とみえ、田一〇町余・畑一五町七反余、ほかに永荒地二二町三反余、わずかに桑も作られていた。屋敷は一町二反余、名請人六一名中一六名は杣取。彼らは甲府城築城の折使役され、浅野氏より諸役免除のうえ屋敷地を与えられた国中(くになか)の杣一三八名のうちの一六名であり(文禄三年「浅野長継証文」山岡正夫家文書など)、屋敷・持高は幕末まで免除された(慶応二年「書上帳」上帯那区有文書)。慶長古高帳では高三七二石余、ほかに諏訪大明神領二石余・大明神領二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by