上御宇田村(読み)かみみうたむら

日本歴史地名大系 「上御宇田村」の解説

上御宇田村
かみみうたむら

[現在地名]鹿本町来民くたみ

御宇田台地の南縁部にあり、東は津袋つぶくろ村・高橋たかはし村・下高橋村、南はしん町、西は下御宇田村、北は蒲生かもう(現山鹿市)と接する。康暦元年(一三七九)九月六日の今川了俊書状写(阿蘇家文書)に「これの事ハ三年田と申候て、きのゝ城ニむかひあひて候所ニ、一昨日より城をとらせて、豊後勢をさしをきて候」とある「三年田」は、位置的に当地のことと思われ、了俊が隈府わいふ(現菊池市)の菊池武朝を攻めた際、木野きの(現菊鹿町)を攻めるために陣を張っている。年未詳一二月三〇日の菊池武時書状(五条家文書)では、「御宇田捌十町」を五条氏に預け進めている。永正二年(一五〇五)一一月一八日の菊池氏老中連署状(阿蘇家文書)に連署している一五名に御宇田上総介重直、同年一二月三日の肥後国諸侍起請文写(同文書)には重直と山城守直貞が連署している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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