坂東寺(読み)ばんどうじ

日本歴史地名大系 「坂東寺」の解説

坂東寺
ばんどうじ

[現在地名]筑後市熊野

有水山と号し、天台宗本尊阿弥陀如来。もとは薬師如来であった。広川ひろかわ庄の鎮守である熊野神社神宮寺。当寺および新宮社(熊野神社)は、神武天皇代の建立とも(寛文十年寺社開基)、延暦年中(七八二―八〇六)に最澄が建立したとも伝えるが(元弘四年二月九日「弁賀等連署契状案」岡本文書/鎌倉遺文四二)、熊野新宮社の勧請広川庄の領家職が紀伊熊野社(現和歌山県本宮町の熊野本宮大社)に移った保延四年(一一三八)のことであろう。また貞和四年(一三四八)に神託によりそれまでの広福こうふく寺の寺号を坂東寺に改めたというが(「坂東寺縁起写」同文書/筑後国水田荘・広川荘史料(九州荘園史料叢書))、天福二年(一二三四)二月日の坂東寺所役注文案(岡本文書/鎌倉遺文七)に坂東寺とともに広福寺・神宮じんぐう寺・安福あんぷく寺がみえる。したがって保延四年に熊野社が勧請され、神宮寺ができ、それとは別に存在した薬師如来堂を本堂とする坂東寺が広福寺と安福寺および熊野社・神宮寺を吸収したと推定される。

久安三年(一一四七)八月に若宮王子社、元久二年(一二〇五)七月に西御前社が造立され、建仁二年(一二〇二)院宣により大嘗会召物、寛喜三年(一二三一)一二月関東御教書により宇佐宮高良こうら社の造営用途を免除されたという(前掲弁賀等連署契状案)。建保七年(一二一九)には熊野社の七月会と九月会の際に同社の鳥居の東側にある坂東寺の南大門の園の庭草を畳にして、堂に敷くよう命じられている(同年六月日「神宮寺役注進案」岡本文書/鎌倉遺文四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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