宇田村(読み)うたむら

日本歴史地名大系 「宇田村」の解説

宇田村
うたむら

[現在地名]阿武町大字宇田

宇多村とも記される。惣郷そうごう村の南、西は日本海に面する。海岸部を除いて三方山に囲まれ、集落はおもに村内を貫流して日本海に注ぐつづら川とその支流域に散在する。海上には当村内に含まれるひめ島・宇田島が浮ぶ。萩藩領で奥阿武宰判に属した。

永正五年(一五〇八)と推定される大井おおい八幡宮(現萩市)の阿武郡大井八幡宮御済納米銭役人文書の「八幡宮祭免田付立之事」に「宇田」とあり、元亀元年(一五七〇)一〇月一七日付の毛利元就の判のある児玉惣兵衛家文書(「閥閲録」所収)には「宇多」と記される。

慶長五年(一六〇〇)検地帳に「宇多村」とあり、同一五年の検地帳に記される総石高は六三一石余、うち田は三六町余で高五三六石余、畠は三町余で高一二石余、百姓屋敷数四六、浦屋敷数三六、浦浮役六四石余、小物成〇・四石余で地方と浦方に分れていた。


宇田村
うたむら

[現在地名]養老町宇田・色目いろめ

安久やすひさ村の北東、東流する牧田まきだ川左岸にある。北西はなか村、西は橋爪はしづめ村。西勝さいしよう寺境内から石鏃、地内北野きたのから古墳時代の須恵器が発見されている。寛正六年(一四六五)四月一四日付の懸仏裏面墨書銘(多岐神社蔵)に「宇田郷」とみえ、同郷住人藤原吉家が美濃三宮大塚おおつか(現多岐神社)に寄進している。応仁元年(一四六七)四月二〇日にも同郷の藤原重俊・妻娵女が同社に懸仏を寄進している(「懸仏裏面墨書銘」同社蔵)。応永年間(一三九四―一四二八)土岐康任が当地に移り住み、宇田二郎を称した。


宇田村
うだむら

[現在地名]富岡市宇田

東境を高田たかた川が東南流し、南部を丹生にゆう川が東流、北は下高田村(現甘楽郡妙義町)、西は下丹生村と接する。「和名抄有只うだ郷に比定され、弥生から古墳時代の土器散布の阿蘇岡あそおか遺跡、縄文から平安期に至る遺物が出土した山根やまね遺跡、縄文から古墳時代の土器・石器が多く散布し大集落遺跡とみられる神宮寺南じんぐうじみなみ遺跡、不動塚ふどうづか古墳などがある。近世はおおむね小幡藩領。寛永一四年(一六三七)の検地帳(林文書)によると田二八町九反二畝余(うち上田一九町九畝余)・畑五四町九反九畝余(うち上畑三二町九反余)・屋敷四町七反六畝余。


宇田村
うつたむら

[現在地名]水口町宇田

北脇きたわき村の南にあり、南端を野洲やす川が西流する。集落は村の西半に位置し、集村をなす。中世は柏木かしわぎ御厨に含まれた。室町時代を通じ柏木御厨の代官で土豪の山中氏の支配を受け、その本拠となった。慶長五年(一六〇〇)幕府領、天和二年(一六八二)水口藩領に転じた。寛永石高帳では高六七七石余、慶安二年書上では田五五三石余・畑屋敷五九石余・永荒川成六四石余。耕地の南半には野洲川の古い河岸段丘がみられる。また集落の南側にはさくら堤とよばれる古い堤防跡があり、現在の堤防との間には短冊形の新田が開かれている。


宇田村
うたむら

[現在地名]清川村三玉みたま 宇田

長迫ながさこ村の南、奥岳おくだけ川西岸にある。対岸井崎いさき村。正保郷帳に村名がみえ、田高一六六石余・畑高六七石余、耳忍みみしの郷に属し、日損所と注記される。旧高旧領取調帳では高一〇八石余。安永七年(一七七八)には日小田組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。牛王社は岡藩から畑高五升を寄進されていた(地方温故集)。明治八年(一八七五)左草さくさ村・なか村と合併、三玉村と改称。

宇田うた社は社蔵の延享四年(一七四七)の棟札銘には正平七年(一三五二)願主宇佐頼次により造営され、永享四年(一四三二)願主小深田良従により再興とある。伝承ではあるが、創建は南北朝時代にさかのぼり、また宇佐宮との関連が推測される(清川村誌)


宇田村
うだむら

[現在地名]千倉町宇田

久保くぼ村の西、瀬戸せと川左岸に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に村名がみえ、高三六〇石余、うち田方一九三石余。里見氏直轄領。同一一年・一五年の里見家分限帳では給人領。正保郷帳では田高二〇六石余・畑高九九石余、旗本松平忠直領(寛永一九年から)。正保三年(一六四六)一部が忠直息に分知され、残余は寛文一一年(一六七一)忠直の改易により上知されて幕府領となり、享保一〇年(一七二五)北条藩水野氏に与えられた(「寛政重修諸家譜」など)。元文村高帳では旗本松平領三一〇石余・北条藩領一四石余。天保一三年(一八四二)一村が武蔵忍藩領となる(同一四年忍藩領郷村高帳)


宇田村
うだむら

[現在地名]丸岡町宇田

玄女げんによ村の南西にある。中世は長畝のうね郷に含まれる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「鵜田村」とみえ、高二八三・六八石。正保郷帳より宇田の字があてられ、田方二四四石余・畠方三九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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