日本歴史地名大系 「上徳地」の解説 上徳地かみとくじ 山口県:新南陽市上徳地佐波(さぱ)川の上流一帯は中世を通じて得地(とくじ)保・得地庄などとよばれた地で、奈良東大寺、京都東福(とうふく)寺(現東山区)、石清水(いわしみず)八幡宮(現京都府八幡市)の所領が錯綜した地であったが、南北朝期には、佐波川上流域を下得地(しもとくじ)、その支流島地(しまじ)川流域を上得地と称するようになった。さらに室町時代になると上得地が上得地上(かみとくじかみ)村と上得地下村に二分され、近世に入ると上得(徳)地上村は上徳地、上得(徳)地下村は中徳地となったが、上徳地は徳地地区の最も南部、島地川上流域に位置した。近世中期以降この上徳地は上(かみ)(現佐波郡徳地町)、夏切(なつぎり)・垰(たお)・馬神(うまがみ)・米光(よねみつ)の各村に分割されたと思われる。上徳地の地名は応永一七年(一四一〇)三月二一日の花尾(はなお)八幡宮(現徳地町)の鐘銘(「注進案」所収)に「周防州上徳地」とみえるのが早く、慶長五年(一六〇〇)の検地帳には上得地とあり、石高二千五五九石四升三合、同一五年の検地帳では上徳地とあり、総石高三千五三六石余、うち田方は二一五町余で二千九七九石余、畠方は九一町余で三三〇石余、百姓屋敷三三〇、市屋敷三四、小物成五九石余と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by