上掛尾村(読み)かみかけおむら

日本歴史地名大系 「上掛尾村」の解説

上掛尾村
かみかけおむら

[現在地名]富山市堀川町ほりかわまち

富山城下南方に位置し、東は大町おおまち村・下堀しもほり村。懸尾とも記し、「カッキョ」ともいうが、地名は地内にある神宮じんぐう寺の懸地・掛領に由来するという。天正六年(一五七八)一二月一〇日の織田信長印判状(諸旧記抜萃)にみえる野上氏は掛尾村の野上五郎右衛門とされる。江戸初期は加賀藩領、万治三年(一六六〇)の領地替で富山藩領となる。正保郷帳では高一千二九石余、田方六七町三反余・畑方一町二反余。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高七七三石、免四ツ二歩。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高五四五石余・定免四ツ五厘、新田高四七石余・平均免八歩七厘余、銀納畑一千四五〇歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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