上教来石村(読み)かみきようらいしむら

日本歴史地名大系 「上教来石村」の解説

上教来石村
かみきようらいしむら

[現在地名]白州町上教来石

釜無川上流右岸の西部山地が迫る中位段丘に位置し、北側に枝郷山口やまぐちがある。北西大武川おおむかわ村、南は下教来石村。古くは下教来石村と一村をなしていたが、慶長検地により上・下二ヵ村に分離したと伝える。当地に教来石氏の屋敷があったと伝え(甲斐国志)、天文二一年(一五五二)六月六日、教来石又七郎は土屋氏の名跡に立てられている(高白斎記)。天正一〇年(一五八二)本能寺の変による織田信長死去の情報を聞きつけた諏訪氏の旧臣らが河尻秀隆と教来石などで戦い甲府へ追散らしたという(「小平物語」蕗原拾葉)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む