改訂新版 世界大百科事典 「河尻秀隆」の意味・わかりやすい解説
河尻秀隆 (かわじりひでたか)
生没年:1527-82(大永7-天正10)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…81年には新府城(韮崎市)を築いてここに移ったが,時すでにおそく,翌年には信濃路から織田軍,駿河路から徳川軍に攻め込まれ,3月11日天目山麓田野(大和村)で勝頼以下自刃してはて,名門武田氏は悲劇的な滅亡を遂げた。【磯貝 正義】
【近世】
1582年武田氏が滅亡すると,甲斐は織田信長の臣河尻秀隆の支配をうけた。まもなく本能寺の変後起こった一揆により秀隆が誅滅されたあと,甲斐をねらう後北条氏との係争に勝利を得て入国した徳川家康は,平岩親吉を甲府城代に任命した。…
※「河尻秀隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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