上杉原村(読み)かみすぎはらむら

日本歴史地名大系 「上杉原村」の解説

上杉原村
かみすぎはらむら

[現在地名]会津高田町旭杉原あさひすぎはら

みや川扇状地の扇頂部付近にあり、西は宮川を隔てて仁王にんのう村、東は下杉原村。村の南を若松から金山かねやま谷へ通じる道が通る。もと杉原村で、近世初期に上下に分村したという。しかし「新編会津風土記」には「同称の村並べり、因て上下の字を以て分つ」と記し、カミスキノハラと訓じている。近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、冑組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には杉原とあり、高四九〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 仁王 金山 台座

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android