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上杉重定 うえすぎ しげさだ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上杉重定 うえすぎ-しげさだ

1720-1798 江戸時代中期の大名。
享保(きょうほう)5年7月6日生まれ。上杉吉憲(よしのり)の子。延享3年兄宗房の跡をついで出羽(でわ)米沢藩(山形県)藩主上杉家8代となる。宝暦5年の大凶作などで藩財政は極端に窮乏。森平右衛門を登用した改革も失敗。一時は領地返上をかんがえ,明和4年隠退をよぎなくされた。寛政10年3月26日死去。79歳。通称は喜平次。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

上杉重定

没年:寛政10.3.26(1798.5.11)
生年:享保5.7.6(1720.8.9)
江戸中期の米沢藩(山形県)8代藩主。吉憲の子で,前藩主宗房の弟。幼名直千代,元服して重定となる。延享4(1747)年米沢入部。政治より謡曲に傾倒し,文武のほかに,謡曲や乱舞(能楽)に心掛けることを藩士に奨励した。宝暦期(1751~64)の米沢藩は,同3年幕府より東叡山中堂修理を命ぜられ,5年は大凶作のため,財政は窮乏し,城下町打ちこわしも発生した。これらを乗り切るため,森平右衛門を登用したが,あまりに専制的であり,家臣団上層部との対立を深めることになった。宝暦13(1763)年,森は暗殺され,重定自身も明和4(1767)年,改革派により藩主隠退を強要された。<参考文献>『米沢市史』近世編2

(横山昭男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の上杉重定の言及

【藩政改革】より

…幕藩体制のもとで,個別領有の側面をもつが実施した政治的改革。幕藩体制社会を,太閤検地の施行を史的前提として,単婚小家族の小百姓を土地に緊縛し,これを身分制的に支配する封建社会と規定するとき,そこでの農政の基調は,小百姓の自立あるいは分裂による創出であり,維持であった。そして,そこでは領主の封建的大土地所有と小百姓の零細錯圃の占有とが対峙する関係にたっていた。江戸幕府は1643年(寛永20)3月に,田畑永代売買禁止令を出しているが,後者の占有内部に〈身上(しんしよう)能(よ)き〉百姓=〈徳人(とくにん)〉の輩出と極貧の小百姓経営の成立という分解をおそれてのことであった。…

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