朝日日本歴史人物事典 「上杉重定」の解説
上杉重定
生年:享保5.7.6(1720.8.9)
江戸中期の米沢藩(山形県)8代藩主。吉憲の子で,前藩主宗房の弟。幼名直千代,元服して重定となる。延享4(1747)年米沢入部。政治より謡曲に傾倒し,文武のほかに,謡曲や乱舞(能楽)に心掛けることを藩士に奨励した。宝暦期(1751~64)の米沢藩は,同3年幕府より東叡山中堂修理を命ぜられ,5年は大凶作のため,財政は窮乏し,城下町打ちこわしも発生した。これらを乗り切るため,森平右衛門を登用したが,あまりに専制的であり,家臣団上層部との対立を深めることになった。宝暦13(1763)年,森は暗殺され,重定自身も明和4(1767)年,改革派により藩主隠退を強要された。<参考文献>『米沢市史』近世編2
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報