日本歴史地名大系 「上板木村」の解説
上板木村
かみいたきむら
元和五年(一六一九)の備後国知行帳には村名はなく、享保七年(一七二二)写の三次郡覚書(広島大学蔵)によると、羽出庭村の村高を、「公儀御帖面之外出高」三三五石余を合わせて一千二七四石余とし、羽出庭村九二二石余と上板木村三五二石余に分けたとしている。分村の時期は三次藩が最初に検地を行った明暦二年(一六五六)とみられる。宝暦三年(一七五三)の上板木村万差出帳(上板木地区蔵)によると、耕地の八五パーセントの四〇町五反余が水田で、反当収量は八斗一升一合余となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報