日本歴史地名大系 「上欠下村」の解説 上欠下村かみかけしたむら 栃木県:宇都宮市上欠下村[現在地名]宇都宮市上欠町(かみかけまち)南は下欠下村、西は都賀(つが)郡白桑田(しらくわだ)村・深津(ふかづ)村(現鹿沼市)。南北に長く東西に短い村。近世初期は欠下村または欠之下(かけのした)村と称し、下欠下村と一村であった。元禄一二年(一六九九)上欠下村の亀ヶ甲原につき、上砥上(かみとかみ)村と白桑田村との間に争論があり、三ヵ村立会で境塚を築き絵図面を作製している(「秣場争論につき裁許」植木与三郎文書)。安政七年(一八六〇)当村宇賀神郡治などが重立ちとなって芳賀(はが)郡・河内(かわち)郡内で楮二万本を植え、紙を作って村の助成としようと計画している(「楮仕立並紙製法目論見帳」宇賀神郡司文書)。天保年間(一八三〇―四四)の家数二二(改革組合村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by