日本歴史地名大系 「上津小野村」の解説 上津小野村こうづおのむら 大分県:南海部郡宇目町上津小野村[現在地名]宇目町小野市(おのいち) 上津小野小野市村の北、北(きた)川支流の田代(たしろ)川上流域に位置。古くは高動野とも記し、「こうどの」「こうどうの」とよんだ。天正一四年(一五八六)豊後に侵入していた島津軍は豊臣秀吉の九州入りの報を聞き翌年三月薩摩に撤退したが、その際一隊は奥畑(おくばた)(現三重町)・高動野で合戦をしつつ梓(あずさ)山越の道をとっている(薩藩旧記雑録)。近世岡(おか)城(現竹田市)から日向への道が通り、宇目梓山覚書(中川家文書)によれば、梓山までの道程上、八里目の「宇目ノ内こうだうの村」に一里杭が立てられていた。正保郷帳には上津小野村とみえ、田高八三石余・畑方二五石余、宇目郷に属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by