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岡藩 おかはん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡藩
おかはん

江戸時代,豊後国 (大分県) 直入郡岡地方を領有した外様小藩。文禄2 (1593) 年大友氏除封の際,中川秀成が7万石を受けて以来,廃藩置県まで存続。江戸城柳間詰。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

おかはん【岡藩】

江戸時代豊後(ぶんご)国直入(なおいり)郡竹田(現、大分県竹田市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。豊後国では最大の藩。藩校は修道館(しゅうどうかん)。1594年(文禄3)、中川秀成(ひでなり)が播磨(はりま)国三木(みき)から7万石で入封(にゅうほう)して立藩。名曲「荒城の月」(作詞は土井晩翠(どいばんすい)、作曲は滝廉太郎(たきれんたろう))で知られる岡城に藩庁をおき、以後、幕末まで中川氏13代が治めた。特産品である大豆の生産と錫(すず)・鉛(なまり)の鉱業が藩財政を支え、2代久盛(ひさもり)のときに幕府の許可により銭座(ぜにざ)を城下に設置した。1726年(享保(きょうほう)11)に輔仁堂(ほじんどう)を開設、76年(安永(あんえい)5)これを改組して藩校の由学館とし、1868年(明治1)には武館の経武館と統合して修道館とした。1811年(文化8)には大規模な一揆が起きている。藩医の家に生まれた田能村竹田(たのむらちくでん)は文人画家として有名。1871年(明治4)の廃藩置県により、岡県を経て大分県に編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡藩
おかはん

江戸時代、豊後(ぶんご)国竹田(大分県竹田市)地方を領有した藩。外様(とざま)大名。7万440石。大友吉統(よしむね)の豊後除国の翌年、1594年(文禄3)に中川秀成(ひでなり)が入封し、岡村に城館を置いたことにより成立。城下は竹田村に配置。秀成のあと久盛、久清、久恒(ひさつね)、久通(ひさみち)、久忠、久慶(ひさよし)、久貞、久持、久貴(ひさたか)、久教(ひさのり)、久昭、久成と13代280年にわたり在封、明治維新に至る。1871年(明治4)7月岡県、同年11月大分県に編入。領地は大野、直入(なおり)、大分の3郡にまたがり、丘陵地の畑作中心で大豆が特産品。また、領内尾平(おびら)、木浦(きうら)両鉱山は銀、錫(すず)、鉛などを産出し、1637年(寛永14)から2年間城下町竹田の古(ふる)町に幕府の許可により銭座を設置している。18世紀末には、財政窮乏打開のために御勝手方横山甚助(じんすけ)を中心に積極的増税を目ざす「新法」が実施された。しかし、1811年(文化8)12月、領民はその全廃を求め、打毀(うちこわし)を伴う一揆(いっき)を展開。これが翌年にかけて豊後一円、豊前(ぶぜん)にまで波及し「広域闘争」の典型といわれる岡藩文化大一揆となった。文教面では、1726年(享保11)に輔仁(ほじん)堂を開設、それが1776年(安永5)には拡張され由学館となり、のち武館としての経武館も設立された。この両館は1868年(明治1)に統合され修道館(しゅうどうかん)となった。1787年(天明7)に設置された医学校博済館の教授として唐橋(からはし)世済(君山)が招かれ、その門下に日本南画の開祖田能村竹田(たのむらちくでん)など、多くの人材が輩出した。[豊田寛三]

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世界大百科事典内の岡藩の言及

【竹田[市]】より

…また戸上(とのうえ)には前方後円墳2基などを含む七ッ森古墳(史)があり,周辺には縄文時代や弥生時代の遺跡も多い。【勝目 忍】
[歴史]
 豊後国岡藩の城下町。中世は大友氏の重臣志賀氏の代官支配地。…

【中川氏】より

…関ヶ原の戦のときより徳川家康に属し,領知を安堵される。以後幕末に至るまで中川氏の岡領有が続いた(岡藩)。当主は従五位下修理大夫または内膳正などに叙任された。…

【豊後国】より

…村数は8郡で1418ヵ村,国高は35万7300石余で,田方20万8685石余,畑方14万5435石余,新開7064石余となっている。そのほかに他国の大名の飛地として1601年(慶長6)からは熊本藩領が,大分,海部,直入郡に,69年(寛文9)からは,島原藩領が国東郡に,1713年(正徳3)からは延岡藩領が大分,速見,国東郡に領地を保持して,豊後国内に役所を設置している。 幕府領も日田,玖珠郡を中心に海部,大分,直入,速見,国東の各郡に分布している。…

【世直し】より

…その騒動に,騒動の要求とはげしい打毀行動とを正当化するものとして,世直し大明神が登場した。その確実な例は,1811年(文化8)11月の豊後岡藩の騒動が最初と考えられる。それは,騒動勢が藩から譲歩をかちとったことを喜ぶとともに,団結を誓う象徴として〈四原世直大明神 総氏子 在中 町中〉と記した高札が立てられたものであった。…

※「岡藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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