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斎藤弥九郎 さいとうやくろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

斎藤弥九郎
さいとうやくろう

[生]寛政10(1798).1.13. 越中
[没]明治4(1871).10.2. 東京
江戸時代末期~明治の神道無念流の剣客。信道の子。名は善道,篤信斎と号した。文政9 (1826) 年,江川太郎左衛門の後援を受けて江戸三大道場の一つといわれた練兵館を開いた。幕末三剣士 (桃井春蔵千葉周作 ) の一人に数えられた。

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デジタル大辞泉の解説

さいとう‐やくろう〔‐やクラウ〕【斎藤弥九郎】

[1798~1871]江戸後期の剣客。越中の人。名は善道。号、篤信斎。江戸に出て神道無念流の剣を学び、のち、道場練兵館を開いた。門人に桂小五郎木戸孝允)らがいる。

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百科事典マイペディアの解説

斎藤弥九郎【さいとうやくろう】

幕末の神道無念流の剣客。名は善道(よしみち)。晩年,篤信斎と号す。越中の人。1812年江戸に出て岡田十松吉利に剣を学び,同門の江川英竜の後援で道場練兵館を開いた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

斎藤弥九郎

没年:明治4.10.24(1871.12.6)
生年:寛政10.1.13(1798.2.28)
江戸後期の剣術家。越中国(富山県)氷見郡仏生寺村の郷士斎藤新助信道の長男。15歳で江戸に出て神道無念流の岡田十松吉利に入門,同門の江川太郎左衛門,藤田東湖らと親交を結んだ。29歳で独立し,江川の援助で九段下に道場練兵館を開いた。天保6(1835)年江川が伊豆韮山の代官になると,その手代として文武の指導,道路河川の改修,品川御台場の築造などに当たった。このころ渡辺崋山とも知り合い,思想的に尊王攘夷派へと傾いていった。長男の新太郎(2代弥九郎,1828~88)が萩で長州藩士の剣術指導をしていたことから,練兵館には長州や薩摩の志士が多く集まり,門下三千余人ともいわれた。当時盛んになってきた竹刀打ち込みの剣術稽古を採用し,千葉周作の玄武館,桃井春蔵の士学館とともに幕末江戸3大道場のひとつに数えられた。門下から桂小五郎,高杉晋作,品川弥二郎らが出ている。維新後は会計官権判事,造幣局権判事を務めた。<参考文献>石岡久夫『日本の古武術』

(藤堂良明)

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世界大百科事典 第2版の解説

さいとうやくろう【斎藤弥九郎】

1798‐1871(寛政10‐明治4)
神道無念流の剣客。名は善道(よしみち),字は忠郷。千葉周作の〈玄武館〉,桃井(もものい)春蔵の〈士学館〉とともに,幕末江戸三大道場一つとして有名な〈練兵館〉の主。越中国氷見郡仏生寺村の出身。15歳のころ江戸に出て,神田猿楽町の岡田十松(じゆうまつ)吉利の〈撃剣館〉に入門,心技ともに進歩著しく,1820年(文政3)岡田十松没後,師範代となり道場経営にあたった。26年29歳のとき九段下俎板(まないた)橋畔に〈練兵館〉を開き独立した。

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大辞林 第三版の解説

さいとうやくろう【斎藤弥九郎】

1798~1871) 江戸末期の剣客。神道無念流の使い手。越中の人。千葉周作の玄武館、桃井もものい春蔵の士学館とともに幕末三大道場の一つとして有名な練兵館を開く。維新後、新政府に出仕。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

斎藤弥九郎
さいとうやくろう
(1798―1871)

幕末の剣術家。名は善道、晩年篤信斎(とくしんさい)と号した。越中(えっちゅう)国(富山県)の農家の生まれ。1812年(文化9)志をたてて江戸に出、旗本能勢祐之丞(のせすけのじょう)の家僕となり、15年神道無念(しんとうむねん)流岡田十松吉利(よしとし)の撃剣館に入門し、初めて剣術を学んだ。弥九郎の修業ぶりは目覚ましく、わずか数年の間に先輩たちを凌駕(りょうが)して、代稽古(だいげいこ)を勤め、20年(文政3)師の没後は、嗣子(しし)利章を補佐して道場の経営にあたった。この間、儒学、馬術、兵学を学び、のちに砲術も学んだ。同門の江川邦二郎(くにじろう)(太郎左衛門英龍(ひでたつ))と親交を結び、その援助により、26年、独立して九段坂下俎橋(まないたばし)畔に道場練兵館をおこし、38年(天保9)三番町に移した。このころから剣名はいちだんと高まり、全国から入門者が集まった。また西洋銃隊調練や品川台場の築造、あるいは尊攘(そんじょう)問題に献策するなど、幅広い活躍を示した。維新後、老躯(ろうく)を押して新政府に出仕し、会計官権(ごん)判事となり、大坂に在職した。[渡邉一郎]

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