デジタル大辞泉
「芹沢鴨」の意味・読み・例文・類語
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せりざわ‐かも【芹沢鴨】
- 幕末の新撰組局長。常陸国(茨城県)の郷士出身。本名木村継次。文久二年(一八六二)清河八郎の浪士隊に参加上洛。翌年幕命により近藤勇らと新撰組を組織、局長となるが、乱行のため近藤に暗殺された。文久三年(一八六三)没。
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芹沢鴨 (せりざわかも)
生没年:?-1863(文久3)
新撰組の初代隊長。本名木村継次。水戸藩出身。剣は戸ヶ崎熊太郎門で神道無念流を修めた。1862年幕府の募った浪士組に加わり,翌年2月京都へ上る。尊王攘夷を説く清川八郎らが江戸に戻されたのちも京都に残留,近藤勇,土方歳三らと新撰組を結成しその隊長となる。尊攘派志士弾圧に力をふるうが,性格は冷酷で京都豪商への金品無心などもはなはだしく,同年9月に近藤方の手で暗殺された。
執筆者:高木 俊輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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芹沢鴨
せりざわかも
[生]?
[没]文久3(1863).9.16. 京都
江戸時代末期の水戸の浪士。新撰組局長。本名木村継次。江戸幕府は,文久3 (1863) 年1月不穏浪士取締りのため,芹沢鴨,清河八郎,近藤勇らに浪士を組織させ,将軍警護の名のもとに同2月京都へ送った。彼らは壬生 (みぶ) の屯所に居をおいたが,同3月尊攘派と結んだ清河八郎らが分離し,芹沢を局長として新たに新撰組が組織された。新撰組は京都守護職会津藩主松平容保のもとに属したが,芹沢の行動は会津藩の忌むところとなり,その命を受けた近藤勇らによって殺された。
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芹沢鴨
せりざわかも
(?―1863)
幕末期の水戸(みと)藩浪士、新選組初期の局長。本名木村継次(つぐじ)。神道(しんとう)無念流の戸賀崎(とがさき)熊太郎に剣を学ぶ。清河八郎献策による浪士募集に応じ、水戸出身の新見錦(にいみにしき)、平山五郎、平間重助(ひらまじゅうすけ)、野口健司らと上洛(じょうらく)。のち、近藤勇(いさみ)とともに京都に残り新選組を結成した。当初の局長は、芹沢、近藤、新見の3人であった。新見は局中法度(はっと)を破った理由で近藤に切腹させられ、芹沢は性質粗暴、酒乱のため1863年(文久3)9月18日夜、近藤派の暗殺により斬死(ざんし)した。遺骸(いがい)は壬生(みぶ)寺(京都市中京(なかぎょう)区)に埋葬された。なお、芹沢は水戸の天狗(てんぐ)党に属していたというが、明確な資料はない。
[小島政孝]
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芹沢鴨【せりざわかも】
幕末の水戸藩浪士。1862年幕府の浪人募集に応じて浪士組に加入,京都に上り翌年近藤勇らと新撰組を組織,初代隊長となり,反幕尊攘派志士の弾圧に力を振るった。京都豪商への金品無心がはなはだしかったことなどもあって近藤方の手で謀殺された。
→関連項目土方歳三
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芹沢鴨
没年:文久3.9.18(1863.10.30)
生年:文政10(1827)
幕末維新期の新選組局長。名を光幹,通称をはじめ竜寿といった。変名を下村(木村)継次。常陸国(茨城県)玉造の芹沢城主の後裔芹沢貞幹の3男。文久3(1863)年清河八郎の献策による上洛浪士の一員として三番隊小頭になった。近藤勇,土方歳三らと新選組を結成,近藤,新見錦と共に新選組局長となり,8月18日の政変に参加。しかし,大坂の鴻池善右衛門に200両の借財を強要したり,京都の大和屋庄兵衛に隊費の借用を迫って暴行を働くなど素行は粗暴極まりなく,芹沢暗殺の秘命が松平容保から近藤に下される。島原角楼の宴会後,宿舎の八木邸において同志平山五郎と共に斬殺された。<参考文献>永倉新八『新撰組顛末記』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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芹沢鴨 せりざわ-かも
?-1863 幕末の武士。
常陸(ひたち)(茨城県)芹沢村の郷士。文久3年幕府募集の浪士組にくわわり京都にゆく。近藤勇,新見錦(にいみ-にしき)らと新選組を結成,局長となる。文久3年9月18日対立した近藤派の沖田総司らに暗殺された。変名は下村(木村)継次(つぐじ)。
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