上田土村(読み)かみたどむら

日本歴史地名大系 「上田土村」の解説

上田土村
かみたどむら

[現在地名]佐伯町田土たど

吉井川東岸上に位置し、寺谷てらだに(四二三メートル)南西高原上の田土川水源地一帯を占める。北は片倉かたくら村、南は木倉きのくら(現和気町)。応永三二年(一四二五)赤松満政は「新田庄笠田土村」内の畠二町を安養あんよう(現和気町)に寄進している(同年三月二一日「赤松満政寄進状」安養寺文書)。天正五年(一五七七)南方天神山てんじんやま城は宇喜多直家の攻撃によって落城し、城主浦上宗景の家臣の多くが土着帰農したと伝える。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に田土村とみえ、物成一九一石余、夫米一三石余。同一〇年の備前国高物成帳(備陽記)には、田土庄上田土村とあり、枝村として下田土・杉沢すぎさわが載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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