和気郡(読み)わけぐん

日本歴史地名大系 「和気郡」の解説

和気郡
わけぐん

面積:二六六・六七平方キロ
日生ひなせ町・吉永よしなが町・和気わけ町・佐伯さえき

県南東部に位置し、東は兵庫県に接する。吉井川を挟んだ東西の地区は、赤磐あかいわ郡と当郡との間で一部郡域の変更があり、昭和四六年(一九七一)に旧和気郡を貫くかたちで備前市が成立したため、現郡域は吉永町・佐伯町・和気町および備前市を挟み南にある日生町の四町で形成されている。吉永・和気・佐伯の三町は、北は英田あいだ作東さくとう町・英田町、西は赤磐郡吉井町・赤坂あかさか町・熊山くまやま町、南は備前市、東は兵庫県佐用さよう上月こうづき町・赤穂あこう上郡かみごおり町に囲まれる。日生町は北は備前市、西は邑久おく郡邑久町、東は兵庫県赤穂市に接し、南は瀬戸内海。北の三町は吉備高原の東端に当たり、およそ標高三〇〇―四〇〇メートル級の山々が続く。この吉備高原を南北に断ち切るように、西から順に吉井川・日笠ひかさ川・和意谷わいだに川・八塔寺はつとうじ川が流れ、また県境の日生町寺山てらやまに発した金剛こんごう川が、東から西へ八塔寺・和意谷・日笠の各川を集めて和気町和気で吉井川に合流する。北の英田郡との境にある八塔寺山(五三八・六メートル)は郡の最高峰で、ここからは備前・美作・播磨はもとより、遠く四国をも望むことができる。南部を東西にJR山陽本線、西部を南北に国道三七四号・片上かたかみ鉄道が通る。日生町は県の最南東端にあたり、海岸はおぼれ谷地形(沈降海岸)で入江に富んだ複雑な地形となっており、山が海に迫りわずかな平地に集落が肩を寄せるように立地。東西にJR赤穂線・国道二五〇号が通る。南海上には鹿久居かくい島・つる島・大多府おおたぶ島・かしら島・島・こう島など日生諸島が浮ぶ。

〔原始・古代〕

和名抄」東急本は坂長さかなが藤野ふじの益原ますばら新田にうた香止かがとの五郷をあげ、高山寺本は香止郷を欠く。律令制の区分では下郡にあたる。式内社としては神根こうね神社(現吉永町)がある。備前国東南隅に位置する当郡域は、しばしば郡界や郡名の変更が行われた。「続日本紀」によってその変遷をたどると次のとおりである。養老五年(七二一)四月二〇日、邑久郡赤坂郡の郷を割いて初めてこの地域に藤原ふじわら郡を独立の行政単位として設置する。神亀三年(七二六)一一月二六日、郡名を藤野郡に改める。天平神護二年(七六六)五月二三日、それまで三郷であった藤野郡に、邑久郡の香登かがと郷、赤坂郡の珂磨かま佐伯郷上道郡物理もとろい肩背かたせ沙石さいし郷の合せて六郷を加えて九郷とする。このとき、美作国勝田かつた郡の塩田しおた村も当郡に属することになる。神護景雲三年(七六九)六月二九日、郡名を和気郡に改める。


和気郡
わけぐん

「和名抄」所載の古代伊予国一四郡の一。流布本に「和気」と記し、「和計」と訓ずる。高山寺本には郡内の郷として高尾たかお吉原よしはら姫原ひめばら大内おおうちの四郷を記し、流布本にも同様に記す。風早かざはや郡の南に連なる小郡で、松山平野の北部を占め、西に海をひかえる。

「日本書紀」景行天皇五一年の条に皇子十城とおき別王を「是伊予別君始祖也」とする。その後裔が和気郡に土着して伊予別公と称し、郡司に任ぜられ、郡名もこれによったと類推される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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