佐伯町(読み)さいきちよう

日本歴史地名大系 「佐伯町」の解説

佐伯町
さいきちよう

面積:一九五・六八平方キロ

佐伯郡の西部にあり、北は吉和よしわ村・湯来ゆき町、東は廿日市はつかいち町、南は大野おおの町・大竹市、西は山口県に接する。町域は平均標高約三〇〇メートルの高原で、北を中国山地の脊梁部、東を大峯おおみね(一〇三九・八メートル)、西を羅漢らかん(一一〇九・一メートル)おにじよう(一〇三〇・九メートル)、南を権現ごんげん(六九九・五メートル)などの高山で囲まれる。ほぼ町域の西部は木野この(小瀬川)の上流域、東部は玖島くじま川の上流域にあたり、この川沿いに集落とわずかな平地が展開する。


佐伯町
さえきちよう

面積:六〇・一〇平方キロ

深い渓谷をつくり蛇行南流する吉井川中流域の両岸に広がる。北は英田あいだ英田町、東は和気町、南は赤磐あかいわ熊山くまやま町、西は同郡吉井町・赤坂あかさか町。吉井川の東部は吉備高原の一部をなし、その麓を同川に沿い備前市と英田郡美作町を結ぶ国道三七四号(旧片上往来)片上かたかみ鉄道が並行して走る。西部は、ほぼ中央を東西に断層谷が走り、王子おうじ川が東流、佐伯小盆地を形成している。「続日本紀」天平神護二年(七六六)五月二三日条によれば、佐伯郷が赤坂郡より藤野ふじの郡に移管されている。中世は佐伯庄が成立していた。近世、町域の村は吉井川を境に東は和気郡、西は磐梨いわなし郡に属した。米沢よねざわ村には岡山藩家老土倉氏(一万石)の陣屋が置かれた。


佐伯町
さえきまち

[現在地名]宇和島市佐伯町一―二丁目

御年譜微考」に、文禄三年(一五九四)藤堂新七郎が藤堂高虎の代官として丸串まるぐし城に入り、その後佐伯権之助が城代として丸串城に来て邸宅を営み、その門前の町を佐伯町と称したとある。東は御徒おかち町、南は神田じんでん川の佐伯さえき橋を経て元結掛もとゆいぎ、西は浜御殿はまごてん薬研堀やげんぼりに接する。御持筒おもちづつ(鉄砲組)の長屋があり、町家も併存した。「町方」(伊達家史料)によると、寛延三年(一七五〇)に久保野屋円蔵、宝暦四年(一七五四)に京屋長之進、同一四年に姫路屋久兵衛、明和二年(一七六五)に紺屋平作などの名がみえる。


佐伯町
さえきまち

[現在地名]津市岩田いわた

岩田川の下流南岸の低地久留島くるしまの西にあたる。寛延(一七四八―五一)頃の「宗国史」によれば、城中に佐伯町とある。慶長一三年(一六〇八)藤堂高虎が伊予今治いまばり(現今治市)から転封した時、随従して来た豪族佐伯権之佐がこの地を賜ったので、町名が生じたという(草蔭冊子)。佐伯氏はもと豊後国の豪族で、その家来長田・高畑・衛藤氏らも同行し、ともにこの地に住んでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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