20世紀日本人名事典 「上田耕冲」の解説 上田 耕冲ウエダ コウチュウ 江戸時代末期・明治期の日本画家 生年文政2年(1819年) 没年明治44(1911)年1月21日 出生地京都 本名上田 万次郎 経歴円山応挙門下の日本画家・上田耕夫の子。13歳で父を亡くしたのち大坂に赴き、父の親友であった画家・長山孔寅から四条派の画風を学んだ。その後も大坂に定住し、画技を研鑽。90歳を過ぎて大阪天満宮の襖絵「鷹狩と雪中老松」を手がけるなど、晩年に至っても創作意欲が衰えることはなかった。その子、耕甫も日本画家として一家を成した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田耕冲」の解説 上田耕冲 うえだ-こうちゅう 1819-1911 江戸後期-明治時代の画家。文政2年生まれ。上田耕夫の子。大坂で長山孔寅(こういん)にまなぶ。死の1年前に大阪天満宮に襖絵(ふすまえ)「鷹狩と雪中老松」をえがいたという。明治44年1月21日死去。93歳。京都出身。通称は万次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by