上福光村(読み)かみふくみつむら

日本歴史地名大系 「上福光村」の解説

上福光村
かみふくみつむら

[現在地名]岐阜市山先町やまさきちよう黒岩町くろいわちよう西後町さいごちよう堀田町ほりたまち城前町しろまえちよう長良法久寺町ながらほうきゆうじちよう長良ながら

長良川右岸に沿い、東部に枝郷堀田がある。東は雄総おぶさ村、西は中福光村、北は真福寺しんぷくじ村。中世から織豊期にかけて中福光村を含めた一帯は福光郷と称され、「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)六月五日条に郷名がみえる。天正三年(一五七五)正月一一日の織田信長朱印状(南陽堂楠林氏文書)によれば、信長は斎藤玄蕃助に同郷を扶助のため一円に与えたが、このうち段銭五〇貫文を尾張犬山の織田伊勢守息女に渡すよう定めている。同一〇年の検地帳写(後藤文書)があるが、五冊のうち四冊しか残らず、年代も検討の余地がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む