日本歴史地名大系 「上種足村」の解説 上種足村かみたなだれむら 埼玉県:北埼玉郡騎西町上種足村[現在地名]騎西町上種足北は見沼代用水を隔てて中(なか)ノ目(め)・戸室(とむろ)の各村に接し、東は中種足村。集落は村の北部にあって同用水に沿う自然堤防上に位置し、南部は野通(やどおり)川左岸の低湿地。戸室村・中ノ目村内に飛地がある。江戸初期まで中・下の種足村と一村であったという(風土記稿)。永仁元年(一二九三)一二月一七日、武蔵国種垂(たなだれ)などが亡父光隆の譲状に任せ伊賀光清に安堵されている(「将軍家政所下文案」飯野八幡宮文書)。田園簿によれば田高三八一石余・畑高二八五石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高一千三四石余、反別は田方七七町三反余・畑方五九町余、ほかに新開分として四一四石余があった。元禄郷帳では高九六八石余で、幕府領、旗本水野・本多・万年の相給(国立史料館本元禄郷帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by