戸室村(読み)とむろむら

日本歴史地名大系 「戸室村」の解説

戸室村
とむろむら

[現在地名]臼杵市戸室、江無田えむた あすとぴあ

市浜いちはま村の北、臼杵川の下流左岸に位置する。北は田篠たしの村、西にみずじよう山がある。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ高一七一石余、うち田方六七石余・畑方一〇四石余、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳でも同高で、市江無田村組に所属、村役人に肝煎久左衛門を記す。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)では末広村組に所属、のち江無田組に属した(万用集)正保郷帳には村名がみえず、江無田村に含まれたと考えられる。元禄一四年(一七〇一)の豊後国変地并相改之目録(臼杵藩政史料)には正保国絵図に書漏れた村とある。


戸室村
とむろむら

[現在地名]厚木市戸室・水引みずひき二丁目・みどりおか一―三丁目・吾妻あづま

尼寺原あまでらはら台地東端部に位置し、集落は台地上縁辺部と下段に位置する。村の北側を丹沢たんざわ(御林道)が通る。東は厚木村、西は温水ぬるみず村、南は恩名おんな村、北ははやし村に接し、東境を小鮎こあゆ川が南流する。小田原衆所領役帳に幻庵「六拾貫文 中郡戸室」ならびにその御新造知行分「廿貫八百卅七文 戸室 卯検地増分」とある。

近世は、元禄期(一六八八―一七〇四)までは幕府直轄領、以後幕府・旗本領の相給、旗本領のみの相給。


戸室村
とむろむら

[現在地名]田沼町戸室

はた川流域の左岸段丘上にあり、東は山、西は岩崎いわぎき村、南は田沼村、北は船越ふなこし村。「永正十五年道者日記」に、在所「とむろ」の飯塚かすへの名がみえ、「そめ物三たん あついた一たん」とあり、「とむろ」は当地のことと思われる。慶安郷帳によれば田六一石・畑五六二石余・山銭七石余、下総古河藩領。元禄一〇年(一六九七)から旗本花井・朝比奈・黒沢領などの七給。


戸室村
とむろむら

[現在地名]騎西町戸室

北と東は広い水田を隔ててそれぞれ西にし村・鴻茎こうぐき村、集落は見沼代用水左岸の自然堤防上に立地する。田園簿によれば田高三七九石余・畑高三九二石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳によると高七六二石余、反別は田方四三町一反余・畑方四三町七反余。元禄郷帳では九一二石余、旗本富田・安藤の相給。幕末まで同じ二家領であった(改革組合取調書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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