日本歴史地名大系 「上米積村」の解説 上米積村かみよなづみむら 鳥取県:倉吉市上米積村[現在地名]倉吉市上米積国府(こう)川右岸の久米(くめ)ヶ原(はら)台地に位置し、南は福本(ふくもと)村。赤崎(あかさき)宿(現赤碕町)と関金(せきがね)宿(現関金町)を結ぶ街道が通る。村名は中世に稲積(いなづみ)庄が成立していたことに由来するともいわれる。拝領高は二六〇石余、本免四ツ九分。飯沼氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高二八〇石余、竈数二〇余。沖船(おきふね)大明神・加茂大明神を記載。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二七八石余、竈数二三。藪役銀七匁四分を課されていた(藩史)。草山入会をめぐる争論があり、天保二年(一八三一)の和解のための願書(国府公民館蔵)に当村・下米積村・三江(みえ)村・黒見(くろみ)村・島田(しまだ)村・横田(よこた)村・国府村の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by