上苅間村(読み)かみかりまむら

日本歴史地名大系 「上苅間村」の解説

上苅間村
かみかりまむら

[現在地名]谷田部町苅間(かりま)

平塚(ひらつか)村の南、蓮沼(はすぬま)川東岸の標高二五メートルの台地に所在。村域には苅間古墳があり、小字大境(おおざかい)の舌状台地上の苅間遺跡からは土師器・須恵器が出土し、古墳時代中期から平安時代にかけての集落の存在を示す。古くは狩間(かりま)村といい(新編常陸国誌)、「寛文朱印留」には苅間村とあり麻生藩新庄氏領。元禄一二年(一六九九)の谷田部藩細川氏宛知行目録(谷田部の歴史)では新治(にいはり)郡内で当村のみが谷田部藩領となっており、谷田部藩領として廃藩置県に及んだ。「各村旧高簿」による明治元年(一八六八)の村高は七一二・三〇六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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