上野鋳銭座跡(読み)うわのじゆせんざあと

日本歴史地名大系 「上野鋳銭座跡」の解説

上野鋳銭座跡
うわのじゆせんざあと

[現在地名]秋田市川尻新川町

川尻上野かわしりうわのの現秋田刑務所の地に、元文二年(一七三七)藩の願出によって幕府から鋳銭座が許可され、同三年四月二九日鋳銭が始まった(羽陰史略)。目的は藩財政の困窮救済で、長崎御用銅の廻銅量を減少しない条件がついた。この秋田銭は銅七〇・九パーセント、錫九・二パーセント、鉛一九・九パーセントの割合で、重さ八分、大きさ直径八分、目戸二分四方の寛永通宝であった。長崎御用銅の余銅で自由に鋳造できたらしく、相当量が流通し藩は莫大な利益を得たとみられる。七年間の鋳銭量は、幕府への届出分だけでも約八〇万貫と推定される。大坂にも廻銭されたが、大坂の銭相場を低落させ、大坂銭座の反対を受けて廻銭は中止された(秋田県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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