上長瀬村(読み)かみながせむら

日本歴史地名大系 「上長瀬村」の解説

上長瀬村
かみながせむら

[現在地名]谷汲長瀬ながせ 上長瀬

結城ゆうき村の東、根尾ねお川に管瀬くだせ川が流れ込む地にあり、南は下長瀬村。建武四年(一三三七)四月三日の熊谷直経代道山経行軍忠状(熊谷家文書)に下長瀬の合戦がみえ、北朝方の直経らの兵は当地で戦闘を行っている。いわゆる谷汲の戦の一つか。鷹司冬基の築城という長瀬城の跡がある。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)に、季氏、兵衛督局が知行した地として長瀬郷がみえ、国衙領の系譜を引くものであったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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