日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷汲」の意味・わかりやすい解説
谷汲
たにぐみ
岐阜県南西部、揖斐郡(いびぐん)にあった旧村名(谷汲村(むら))。現在は揖斐川町の南東部を占める地域。1956年(昭和31)谷汲、長瀬の2村が合併、1960年横蔵(よこくら)村を編入。2005年(平成17)春日(かすが)、久瀬(くぜ)、藤橋(ふじはし)、坂内(さかうち)の4村とともに揖斐川町と合併した。旧村域は、根尾谷(ねおだに)南西部および揖斐谷南東部入口にまたがる。地域の東端を樽見鉄道(たるみてつどう)が走る。また、東部には東海自然歩道が通る。米作とともに養鶏、養豚が盛んで、シイタケ、茶、富有(ふゆう)ガキが特産。谷汲山華厳寺(けごんじ)は西国(さいごく)三十三番札所で、満願霊場。1926年(大正15)には名古屋鉄道谷汲線が開通したが、2001年(平成13)廃止、バス転換された。旧谷汲線の終点から同寺の山門まで門前町が開け商店が建ち並ぶ。毎年2月18日の豊年祭に行われる谷汲踊りは有名で、県の重要無形民俗文化財。一方横蔵寺には平安・鎌倉時代の多くの仏像が国指定の重要文化財としてよく保存され、美濃(みの)の正倉院ともよばれる。両寺とも春秋の季節を中心に参詣(さんけい)者が多い。
[上島正徳]
『『谷汲村史』(1977・谷汲村)』