日本歴史地名大系 「上高輪宝徳寺門前」の解説 上高輪宝徳寺門前かみたかなわほうとくじもんぜん 東京都:港区旧芝区地区上高輪宝徳寺門前[現在地名]港区三田(みた)四丁目三田寺(みたてら)町の南西、魚籃(ぎよらん)坂下に位置する片側の門前町屋。南は三田北代地町、西は大信(だいしん)寺、東は徳玄(とくげん)寺、北は宝徳寺境内を隔てて宗清(そうせい)寺。伊豆戸田(へだ)村(現静岡県戸田村)に開創された宝徳寺は元和六年(一六二〇)に桜田(さくらだ)、寛文五年(一六六五)に飯倉狸穴(いいぐらまみあな)へと移転し、さらに延宝六年(一六七八)甲府宰相(徳川綱重)下屋敷用地に召上げられて上高輪村に代地を受けた。元地にあった寛文年中から町奉行支配。町内間数は同寺表門の東西に分けて記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報