日本歴史地名大系 「下ノ江村」の解説 下ノ江村したのえむら 大分県:臼杵市下ノ江村[現在地名]臼杵市下ノ江 中村(なかむら)・浦(うら)黒岩(くろいわ)村の北、下ノ江川の下流域に位置し、臼杵湾に東面する。西は田井(たい)村。参宮帳写(後藤作四郎文書)によると、天正一八年(一五九〇)七月三日臼杵衆の七人連れが伊勢神宮に参詣しているが、そのなかに「したね」の渡辺甚助ら四人の名がみえ、「したね」は下ノ江のことと思われる。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ高一一五石余、うち田方二一石余・畑方九四石余、村位は上。同一一年の惣御高頭御帳では藤田村組に属し同高、村役人に市右衛門・内蔵亮・彦右衛門を記す。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)では佐志生村組に所属、のち佐志生組に属した(万用集)。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳でもほぼ同高で、本高一〇四石・出来高一二石余。正保郷帳では臼杵庄に属し、田方一五石・畑方八九石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by