日本歴史地名大系 「下代丁」の解説 下代丁げだいちよう 兵庫県:洲本市洲本城下下代丁[現在地名]洲本市栄町(さかえまち)三丁目・本町(ほんまち)七―八丁目新(しん)町の通りの西端から北へ向かい、下築屋敷(しもつきやしき)の通りに達する南北の通り。外(そと)町のうちの武家地、この通りは北端が江国(こうこく)寺門前に達することからか、江国寺通とも称され、南は七丁目(ななちようめ)西端、紺屋(こんや)町筋を経て下屋敷(しもやしき)の通りに達していた。通幅は三間。延宝(一六七三―八一)頃には江国寺門前西側一円を下代丁と称していたらしい(「味地草」など)。明治初年には津田下(つだしも)と称されたとみられ、明治一二年(一八七九)頃洲本下屋敷(すもとしもやしき)町・洲本紺屋(すもとこんや)町・洲本外通(すもとそとどおり)町・洲本幸(すもとさいわい)町・洲本常盤(すもとときわ)町・洲本築地(すもとつきじ)町のそれぞれ一部に分属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by