日本歴史地名大系 「下刈村」の解説
下刈村
したかりむら
下刈山東麓、
「梅津政景日記」元和二年(一六一六)一月五日条に「御初野、朝ニ下苅山、晩ニ長岡ニて御鷹御遣被成候」とあり、集落西方の丘陵が山林である。東方に広がる低地は藩政初期から開発がすすんだようで、同書の寛永八年(一六三一)一一月二日条の記録「下刈開ニ付御蔵ヘ状越申候覚」からわかる。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に二七八石とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」は「下苅村 廿九軒」と記し、その支郷に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報