下唐子村(読み)しもがらこむら

日本歴史地名大系 「下唐子村」の解説

下唐子村
しもがらこむら

[現在地名]東松山市下唐子・新郷しんごう

石橋いしばし村の西に位置し、北は月輪つきのわ(現滑川町)、西は上唐子村。南辺を都幾とき川が東流し、村域は東松山台地から都幾川左岸低地にかけて展開する。松山領に属した(風土記稿)。「しもからこ」ともよんだ。古くは上唐子村と一村で唐子村と称していたが、元禄国絵図作製の頃までに上・下の二村に分村したという(風土記稿)。永享一二年(一四四〇)の結城合戦の折、前関東管領上杉憲実は同年七月八日武蔵神奈川かながわ(現神奈川県横浜市神奈川区)を立ち、「野本・唐子」に逗留、その後、下野に向かっている(「鎌倉大草紙」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む