日本歴史地名大系 「下地町」の解説 下地町しもじちよう 沖縄県:宮古諸島下地町面積:二三・六三平方キロ宮古島南西部に位置し、南西一・八キロ余の海域にある来間(ふふやま)島を含む。北の平良(ひらら)市とは古くからウヤンツ(親道または宿道)で通じるが、この道路名はのち三村(さんそん)道路、県道、一九七二年(昭和四七年)の日本復帰後は国道三九〇号と変遷した。町域中央部を経て東の上野(うえの)村・城辺(ぐすくべ)町にも通じる。ほかに県道の与那覇(よなは)―上地(うえち)線・嘉手苅(かでかり)―屋原(やーばる)線が通る。古琉球以来下地(すむず)間切のうちとして推移した。明治一二年(一八七九)の廃藩置県に伴い沖縄県宮古島下地間切となり、一八九六年宮古郡に属した。一九〇八年の沖縄県及島嶼町村制施行で下地間切内であった上地(ういず)・洲鎌(すかま)・川満(かーんつ)・嘉手苅(かでか)・与那覇(ゆなぱ)・来間の六字に、砂川(うるか)間切内であった野原(ぬばり)・宮国(みやーぐん)・新里(あらだてい)(現上野村)の三字が加わった九字で下地村が誕生した。初代村長に垣花武福、収入役に兼島方範が宮古島司推薦で県知事によって任命された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by