下城田寺村(読み)しもきだいじむら

日本歴史地名大系 「下城田寺村」の解説

下城田寺村
しもきだいじむら

[現在地名]岐阜市城田寺きだいじ

上城田寺村の南に位置。もとは同村と一村で城田寺村と称された。分村後も田畑は交錯していた。正保郷帳に下城田寺村とみえ幕府領、高八〇四石余、うち田五九七石余・畑一九九石余・桑木高七石余。元禄一四年(一七〇一)村高のうち六七三石余が旗本松平領となった。残高一三八石余は宝暦九年(一七五九)幕府領で大垣藩預所となり(岐阜県史)、ともに幕末に至る。天保九年(一八三八)の大垣藩預所は反別田七町一反余・畑三町三反余。高持百姓一九軒・水呑百姓四軒、人数一二〇。舎衛しやえい寺、乾徳けんとく(現臨済宗妙心寺派)法勝ほつしよう寺・正光しようこう(現浄土真宗本願寺派)白山権現・神明宮・春日宮・伽藍がらん宮・八幡宮があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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