上城田寺村(読み)かみきだいじむら

日本歴史地名大系 「上城田寺村」の解説

上城田寺村
かみきだいじむら

[現在地名]岐阜市城田寺きだいじ

じようヶ峰(二八八メートル)から西に延びる山並に北を限られ、西境伊自良いじら川が低い湿地をつくって流れる。東は椿洞つばきぼら村・打越うちこし村、南は下城田寺村。集落は山を背にして東西に長い。中世には一帯に城田寺郷が成立していた。もとは下城田寺村と一村で、慶長郷帳に城田寺村とみえ、高一千四七〇石余。初め加藤貞泰(黒野藩)領であったが、元和二年(一六一六)の村高領知改帳では奥平忠隆(加納藩)領で、高一千四七七石余。加納藩家中知行渡方帳(森文書)によれば家臣二六名の給地。正保郷帳には上城田寺村とみえ幕府領、高六七二石余、うち田六一八石余・畑五三石余・紙桑木高一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

収穫年度を2年経過した米。《季 秋》[類語]米・玄米・白米・新米・古米・粳うるち・粳米・糯もち・糯米・黒米・胚芽米・精白米・内地米・外米・早場米・遅場米・新穀・米粒・飯粒・小米・屑米...

古古米の用語解説を読む