下塩後村(読み)しもしおごむら

日本歴史地名大系 「下塩後村」の解説

下塩後村
しもしおごむら

[現在地名]塩山市下塩後

下於曾しもおぞ村の西にあり、南は東後屋敷ひがしごやしき(現山梨市)、西は西後屋敷村(現同上)地名しおノ山を後ろに控えて立地することにちなむといい(甲斐国志)中世には塩後郷で、慶長六年(一六〇一)検地で北の上塩後村と分村した。慶長古高帳に村名がみえ、高三〇九石余、幕府領元禄郷帳では旗本伊丹領で、同氏は寛永一二年(一六三五)から当村を知行したとされる。宝永二年(一七〇五)甲府藩領、同七年から甲府新田藩(柳沢経隆)(「甲州御分知郷村高割帳」柳沢文庫)。享保九年(一七二四)幕府領となり、支配代官は石和川田・石和と交替したのち天保三年(一八三二)以降田安家領(御料私料高別調)。正徳元年(一七一一)の検地により高四五四石余、反別は田九町五反余・畑三五町九反余(うち屋敷五町五反余)となる(「永代記録書出覚帳」広瀬国光家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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