下大利村(読み)しもおおりむら

日本歴史地名大系 「下大利村」の解説

下大利村
しもおおりむら

[現在地名]大野城市下大利一―五丁目・下大利団地しもおおりだんち東大利ひがしおおり一―四丁目・中央ちゆうおう一―二丁目・上大利かみおおり二―三丁目・白木原しらきばる四丁目

白木原村の南、御笠みかさ川左岸にある。南東吉松よしまつ(現太宰府市)、東は水城みずき(現同上)日田街道北西から南東へ通る。中世には南の上大利村と一括されて大利村とよばれた。また村名の由来は大郡おおこおりを大利と略したことによるという(続風土記)。天正一五年(一五八七)一二月七日の小早川隆景打渡状案(満盛院文書)によれば、「下大利」の田三〇町・畠地五反などが太宰府天満宮領として小早川氏から打渡されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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