下大瀬村(読み)しもおおせむら

日本歴史地名大系 「下大瀬村」の解説

下大瀬村
しもおおせむら

[現在地名]浜松市大瀬町・大島町おおしまちよう

上大瀬村の南西安間あんま川と馬込まごめ川支流のむじな川(狢川)の間の平坦地に位置。寛文九年(一六六九)大瀬村が上・下に分離して成立した(「下大瀬村年代記」浜松市博物館蔵)。小地名として東(旧海老塚)栩木とちのぎ・西(旧鷺宮)・中(旧山伏・あらや)があった(同年代記)。寛文九年の高九五五石余(同年代記)元禄郷帳では高九〇〇石余。領主変遷西にし村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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