下小犬塚村(読み)しもこいぬづかむら

日本歴史地名大系 「下小犬塚村」の解説

下小犬塚村
しもこいぬづかむら

[現在地名]三潴町玉満たまみつ

小犬塚村の南にある。東は大犬塚おおいぬづか村、南は岩古賀いわこが村。久留米柳川往還が通る。天保郷帳など幕府へ届出た郷帳類では小犬塚村に含まれる。明治四年(一八七一)正式に独立するが、久留米藩領内では近世から独立村として扱われた。元禄国絵図に小犬塚村のうちとして村名がみえ、「在方諸覚書」によると古高三九六石余・役高三二六石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高三二四石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田一八町六反余・開田六町二反余・畑田四反余・畑二町七反余・居屋敷三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む