日本歴史地名大系 「下屋形村」の解説 下屋形村しもやかたむら 大分県:下毛郡本耶馬渓町下屋形村[現在地名]本耶馬渓町下屋形八面(はちめん)山の南麓、屋形川下流の段丘上。西は樋田(ひだ)村、南と北は山。天文七年(一五三八)八月一二日の成恒氏種当知行時元・大石寺名下作職坪付等注文(成恒文書)に「下屋かた一所弐段 定銭弐百文並」とあり、天正一〇年(一五八二)三月二六日の兼家書状(屋形三郎文書)には「下屋方之内田数壱町壱段之事、坪付之前、可有御知行通被申候、於旨趣者、兼田越中守可被申渡候、恐々謹言」とみえる。なお嘉暦三年(一三二八)一二月三日の宮成公敦去状(同文書)に「今行名西堺之外為稲富名内之条」と、今行(いまゆき)名の西境は稲富(いなどみ)名と述べていることから、下屋形の内に稲富名があったことが推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報