日本歴史地名大系 「本耶馬渓町」の解説 本耶馬渓町ほんやばけいまち 大分県:下毛郡本耶馬渓町面積:八五・四六平方キロ山国(やまくに)川中流域で、南東より流入する支流の屋形(やかた)川および跡田(あとだ)川の流域が主となる。北は三光(さんこう)村、東は宇佐市、南東は宇佐郡院内(いんない)町、南西は耶馬渓町、北西は福岡県築上(ちくじよう)郡大平(たいへい)村に接する。八面(はちめん)山南麓の枌洞穴(へぎどうけつ)遺跡は縄文時代の遺跡で、人骨四〇体以上が発掘された。羅漢(らかん)寺は古代の開基と伝えるが、室町時代に栄えたという。すべての村は下毛郡に属し、天正一五年(一五八七)黒田氏領、慶長五年(一六〇〇)中津藩(のち小倉藩)細川氏領、寛永九年(一六三二)中津藩小笠原氏領と推移したが、元禄一一年(一六九八)の小笠原氏半知により、跡田村・折元(おりもと)村・落合(おちあい)村・東谷(ひがしだに)村・西谷村が幕府領となり、以後幕末まで同様であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by