下川路村
しもかわじむら
現飯田市の南部、天竜川沿いに位置する。古くは下河路とも書いた。「河路」の地名の初見は貞和二年(一三四六)の三浦和田文書で、江間尼浄元(伊賀良庄地頭江馬氏の族人)が、伊賀良庄中村・河路の両郷を上川路の開善寺に寄進していたことを述べている。河路郷が上下に分れた時期は不明であるが、天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳は、「上河路郷」と「下河路郷」を分離・独立した郷村として扱っている。
近世初期は飯田藩領であったが、寛文一二年(一六七二)には一時幕府領となり、天和元年(一六八一)からは美濃高須藩領となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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