下広河(読み)しもひろかわ

日本歴史地名大系 「下広河」の解説

下広河
しもひろかわ

現広川町西部から筑後市東部にかけての一帯、広川下流域に比定される広域名。広川庄の西部を占める。天文五年(一五三六)一二月一三日の大友氏年老連署奉書写(大友家文書録/大分県史料三二)によれば、上妻こうづま郡下広河の徳持とくもちなど六町が斎藤備後守に与えられた。天正一二年(一五八四)当地のうちの徳久とくひさ(現筑後市)六町が新田鎮実に与えられたが、当地三〇〇町分が津江山衆(五条鎮定ら)に与えられているので、万一差障りが生じたならば他所を仲介すると約束されている(四月一二日「大友家奉行人連署状」佐田文書/福岡県史資料一〇)。下広河は四〇〇町で五条鎮定を含む山御三人(津江山衆か)に各一〇〇町が預け置かれている(三月一四日「大友義統書状」・三月一九日「戸次道雪書状」五条家文書/史料纂集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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