日本歴史地名大系 「藤田村」の解説
藤田村
ふじたむら
貞和三年(一三四七)八月一日の吉良貞家寄進状(飯野八幡宮文書)に「伊達郡藤田城戦場」とみえる。藤田城の中心部分は源宗山で、根小屋の一部が当地の観月台にあたる。文明一五年(一四八三)の伊達成宗上洛日記写(伊達家文書)に、成宗の随伴者として藤田方がみえる。永正一三年(一五一六)六月一八日、山岸長門守は藤田中務所より購入した上平柳の惣成敗権などを安堵されている(「伊達稙宗安堵状案」同文書)。なお桐窪家譜(伊達世臣家譜)によると、桐窪中務少輔は藤田邑を領していた。また、岡村家譜(同書)は伊達氏の修験道場の先達極楽院が当地に置かれたことがあると伝え、大立目家譜(同書)は、大立目重徳が当地の
藤田村
ふじたむら
現八幡西区の北東端部(一部は現八幡東区)、
藤田村
ふじたむら
- 宮城県:角田市
- 藤田村
藤田村
ふじたむら
- 福岡県:大牟田市
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藤田村
とうだむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
とうだむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
とうだむら
- 宮崎県:西都市
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藤田村
ふじたむら
- 栃木県:栃木市
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藤田村
とうだむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
とうだむら
- 大分県:臼杵市
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藤田村
ふじたむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
ふじたむら
- 熊本県:菊池市
- 藤田村
近世は河原手永に属し、「国誌」は小村に岩下を記す。文化一一年(一八一四)頃の河原手永手鑑に高二六八石二斗余、田一一町六畝余・畑一九町六反八畝余、竈数五五・人数三三九、牛馬八〇、氏神天満宮とあり、産物に牛蒡があげられる。
藤田村
ふじたむら
藤田村
ふじたむら
藤田村
ふじたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報