日本歴史地名大系 「下我野村」の解説 下我野村しもあがのむら 埼玉県:飯能市下我野村[現在地名]飯能市平戸(ひらつと)・虎秀(こしゆう)・井上(いのうえ)・長沢(ながさわ)白子(しらこ)村の西方、高麗(こま)川流域の山間部に広がっていた村。中世には吾那(あがな)郷に属していたとみられ、「風土記稿」によると高麗郡長沢村の借屋戸(かりやど)社(現借宿神社)の懸仏(現存せず)の銘に永正一二年(一五一五)二月吉辰の年紀とともに「武州高麗郡我野郷之内長沢村」とあったという。慶長二年(一五九七)一一月の検地帳(井上家文書)の表題には「高麗之郡下吾野郷」とあり、高は一二七貫七四文、うち納物として綿八貫四〇六匁・中漆七把六丸・下漆一六把六丸・梶(楮)一千八四六把があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by