平戸村(読み)ひらどむら

日本歴史地名大系 「平戸村」の解説

平戸村
ひらどむら

[現在地名]平戸市築地町つきじちよう木引田町きひきだちよう紺屋町こうやまち魚の棚町うおのたなちよう新町しんまち職人町しよくにんちよう宮の町みやのちよう浦の町うらのちよう崎方町さきがたちよう岩の上町いわのうえちよう明の川内町あけのかわちちよう戸石川町といしがわちよう鏡川町かがみがわちよう田助町たすけちよう大久保町おおくぼちようなど

現平戸市域の北東部に位置し、北東に流れる戸石川が平戸瀬戸から深く入り込む入江に注ぐ。「和名抄」に記される松浦まつら庇羅ひら郷の遺称とされ、中世は平戸とあるほか、平湖島・平壺島などとみえ、古代の郷名を継承したものであろう。ヒラドは庇羅郷が置かれた島のト(狭い海峡)をいうとも、本来は平の津であったものが転訛したともいわれるが、古来より大陸と結ばれる交通の要衝で、平戸松浦氏の勢力拡大の背景には海外交易があったと指摘されている。東部には白狐山びやつこざん城・館山たちやま城・中之なかの館など松浦氏歴代の城館が集中しており、石垣・土塀・門構えなどを残した武家屋敷が点在する。また関連の光明こうみよう寺・瑞雲ずいうん寺・正宗しようじゆう寺などがある。近世、入江に臨む一帯に平戸藩政庁の平戸城(日之岳城・亀岡城)が築かれ、平戸城下が経営され、中国船のほか、ポルトガル、スペイン、オランダの船が来航し、オランダ商館およびイギリス商館が置かれていた。平戸村域は西の鏡川・戸石川、北の小半島の大久保や、南の明の川内、南東部の岩の上という諸地域にわたり、平戸藩の家中屋敷が広域に散在していた(文政年間平戸城下家中図)


平戸村
ひらとむら

[現在地名]熊谷市平戸・曙町あけぼのちよう・曙町五丁目・銀座ぎんざ・銀座四―六丁目

埼玉郡おし領に所属(風土記稿)。荒川の沖積扇状地東端に位置し、西は大里郡熊谷宿、北は上之かみの村、南は忍川を境に戸出とで村。村の南西端を中山道が通る。成田氏一族とみられる平戸氏の名字の地とされ、成田系図(龍淵寺蔵)では成田氏の始祖助高の孫九郎が平戸太郎兵衛尉を称している。中世は成田なりた郷に含まれ、正中二年(一三二五)一二月六日の安保行員譲状案(八坂神社文書)に「むさしの国きさいの郡なりたの郷地頭くんしゝき、はこたの村、ひらとの村」とみえる。


平戸村
ひらとむら

[現在地名]八千代市平戸ひらど

佐山さやま村の南に位置。東を流れるしん(旧平戸川)にはかの村に渡す平戸ひらと橋が架けられていた(利根川図志)。中世は臼井うすい庄のうち。元徳三年(一三三一)九月四日の千葉胤貞譲状(中山法華経寺文書)臼井庄「平戸村田地五段、在家壱宇」とみえ、当地などが千葉胤貞から中山法華経寺日祐に譲られている。応永四年(一三九七)一二月二三日には、鎌倉公方足利氏満が日尊より日暹に譲られた臼井庄神保じんぼう郷のうち平戸村など同寺領の安堵を管領斯波義将に取次いでいる(「足利氏満挙状」同文書)


平戸村
ひらどむら

[現在地名]戸塚区平戸町・平戸一―五丁目

東から南は谷中やなか(現港南区)、西は品濃しなの村、西南西は前山田まえやまだ村、北は武蔵国橘樹たちばな保土ほど宿(現保土ヶ谷区)に接する。東海道保土ヶ谷宿から前山田村に通じ、途中に一里塚があり、焼餅やきもち坂・谷宿やじゆく坂・品濃坂がある。赤関あかぜき川が西南境を流れる。正保国絵図に村名がみえる。

元和六年(一六二〇)以降旗本杉浦領。享保一〇年(一七二五)一一月の保土ヶ谷宿助郷帳(県史九)では、高二〇〇余石を勤めている。余業は天保一四年(一八四三)では男は雑木槙伐・薪取・往還稼、女は粗物・木綿織・縄・莚などを営む(横浜市史)


平戸村
ひらとむら

[現在地名]常澄村平戸

涸沼ひぬま川の左岸にあり、北は川又かわまた村、西は塩崎しおがさき村。

「常陸国風土記」の那賀なか郡にみえる「平津駅家ひらつのうまや」はこの地にあったと思われる。暦応三年(一三四〇)の「あきもと・しやうしゆん・ししやう連署避状写」(石川氏文書)に「ひたちのくによしたのこほりひらとのかう」とあり、常陸大掾一族石川氏の知行地であった。


平戸村
ひらつとむら

[現在地名]飯能市平戸

白子しらこ村の西、高麗こま川沿いに位置し、秩父往還(江戸秩父道)が通る。高麗領に属した(風土記稿)。西は虎秀こしゆう村。小名勝子船かつこぶね小田原衆所領役帳に松田左馬助領として「廿貫文 羯鼓船」とみえ、天文一八年(一五四九)に同氏に与えられた。下我野しもあがの村が分立して成立した村で、元禄郷帳に「下我野平戸村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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