下木村
したぎむら
[現在地名]竹田市会々
稲葉川を挟んで南は岡城下、北西は平村。正保郷帳では飛田郷に属し、田方四五石余・畑方四五石余で、日損所と注記される。弘化物成帳では飛田組のうち、村位は上、免七ツ三分、田四四石余(三町七反余)・畑三九石余(六町一反余)・屋敷四石余(四反余)で、開田はなし、開畑三斗余(六反余)がある。旧高旧領取調帳では高一二八石余。明治八年(一八七五)鹿口村など五村と合併して会々村となる。西山浄土宗西光寺はもと中川氏の菩提寺として本貫地播州三木(現兵庫県三木市)にあったが、中川氏が岡入封直後、光空恵明が中川氏を慕い岡に来たため、城下代官町に寺地を与え開山。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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