下本村(読み)しももとむら

日本歴史地名大系 「下本村」の解説

下本村
しももとむら

[現在地名]清見村坂下さかした

さか村の北にある。高山街道が同村から小井戸こいと谷沿いに峠を越えたので、当村は袋小路になっていた。永仁五年(一二九七)一一月二二日、長滝ちようりゆう(現郡上郡白鳥町)薬師堂御油ならびに修理料所として「河上郷下本内荒気曠野上下」ほかが寄進された(「権別当某寄進状写」内閣文庫蔵楓軒文書纂)。「荒気」は地内の荒木あらきにあたり、同寄進状によると上荒気・下荒気に分れていた。満成まんじよう寺の明応三年(一四九四)五月二八日本願寺実如下付の方便法身尊像裏書に「大野郡川上郷下本村願主釈善永」とみえる。元禄飛騨国検地反歩帳の川上かわかみ郷に載り、高三四石余、田七町八反余・畑二町六反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む